こんにちは。Inishie R plusAブログの時空です。人間の一生とは何をするためにあるのでしょうか。
赤ん坊から老人になるまで、人はゼロから始まりゼロで終わります。この間、何が手に入り、何が損なわれていくのでしょうか。
生きているうちにはできるだけ多くのものを手に入れたいと思うのが人情というものです。その場しのぎの人生に安定感は存在しません。安定というと言葉は正しいかわからないですが、自分の人生をギャンブルのように使う人ですら、多くのものを持つという安定を求めているのかもしれないです。
安定はあってもいいですが、それが足を引っ張るようでは良くないです。安定の先に成長があり、成長の先に安定があります。人々は多くの人にとっての社会での安定感を求めているはずです。
予測可能であって、流れに従ったように、行動してくれることを人々は望んでいます。人々が安定を求めるとき不測の事態が起きないことを願っています。自分の力量だけでアクシデントを回避できることを切に願います。
僕は、その日暮らしで何も積み上げるものがないまま生きていくのは不安です。チョモランマまで積み上げる必要はないですが、その国で何番目かに入る山を目指していきたいです。
うまく経験を積めば、一番高い山も制覇できる可能性があります。コツコツ積み上げるというとやる気を無くす人もいるかも知れないですね。後5年頑張らなければならないと言われて、やる気になるか、やる気を無くすかは人次第と言えます。
そんな中で、コツコツ5年積み上げてきたものが評価される日がやってきます。自分では変わらない日常を過ごしていたかもしれませんが、5年という歳月はとても長く感じるはずです。
その努力が極まれば極まるほど歳月の長さに翻弄されます。しかし、5年後も見事に舞台に立ち続けていれば、やがて大きな利益が手元に入ってきます。そこで2択を迫られます。
ここで安定を求めて守りに入るか、さらに5年続けて、より高い山に挑戦するかです。人は単純な生き物ではありません。幸運にも2択を迫られたとき、守りに入るか、さらに攻めるかは人それぞれでしょう。
僕はどうかといえば、守りに入ることもせず、大きく攻めることもない中庸を生きたいです。5年頑張れたのなら最初からの10年後、さらに5年頑張ることも無理ではないはずです。
スポーツ選手なら体力の衰えがあり年齢制限と言える事態が起きますが、知的能力であれば、経験を積むほど熟していくというメリットがあります。
知的能力ですら体力を求められる場合もありますが、それを含めて多様な戦い方があります。5年、10年と続けていき、20年、30年経った後に何が残るのでしょうか。僕らは選択を迫られているのかもしれないです。
以上です。ご清聴ありがとうございました。時空。
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